4/20

 ロラライを出てしばらくボーっと進む。
 ずっと砂漠が続いていたが、いくつか山を越えると突然視界がひらけ、前方に森が見えた。地図によるとキラ・サフラーという街だ。
 街に入り食事でもしようとレストランを探す。まだ祭りが続いているのか、異様に人が多い。親切なおっさんがレストランに案内してくれる。
 レストランに入ってもやじ馬がついてくる。鬱陶しいので無視。
 20ルピー(60円)のカレーを食べる。出ようとすると、胡散臭いオヤジがあらわれ50(150円)ルピーだとぬかしはじめる。また金額交渉の言い合いするのかと思うとウンザリしてくる。
 コックのほうをみると20ルピーでいいと言ってるので、胡散臭いオヤジは無視して20ルピー払いさっさと出ようとする。
 すると、店に案内してくれた親切なおっさんが「おまえはおれの客だ。おごってやる」と、金を払ってくれた。
 外に出ると、30人くらいが僕の自転車に群がっていた。人をかきわけ必死に脱出し少し進むと、野菜屋を発見。この先しばらく街はないので、やじ馬が鬱陶しいけど食料を買っておくことにした。
 ところが、止まったらますます野次馬が増え、とても買い物どころじゃなくなってしまう。
 親切なじじいが2人現れ、買い物を手伝ってくれ、なんとか食料を入手。
 しかし人はさらに増え続け、どうにも身動きが取れない。二百人近くに囲まれている。今のところはただの好奇心だろうが、もしなにかのはずみに喧嘩でも起きたら、たぶん無事ではすまない。人々の表情も笑顔ではなく、観察するような目つきだ。ヘタに刺激したら大変なことになりそう。僕の周囲を取り囲んでいるのは子供で、その周りに大人が群がっている。もし、ひとりの子供が荷物に手を伸ばしなにか盗もうとしたら、連鎖的にみんな物を盗っていきそうな雰囲気。
 はっきりいって、めちゃくちゃ恐ろしい。
 じじい2人がいなければどうなっているかわからない。年寄りには敬意が払われているらしく、かろうじて場が収まっている感じだ。
 じじいに守られて少しずつ人の群れを割っていき、なんとか村の出口あたりまで辿り着く。大人達はそれ以上追ってこず、前方の人垣が切れたすきになんとか自転車に跨りダッシュする。運良く下り坂で、うまく走り出すことができた。
 それでも四十〜五十人ほどの子供の群れが追いかけてくる。悪ガキは石を投げつけてくる。
 必死にペダルを回し、なんとか恐るべき街から脱出できた。

 

4/21

 朝、寒さで目覚めた。気温は二℃。かなり標高が高いようだ。
 今日中にパキスタン西南部最大の街クェッタに辿り着こうと、一心不乱に走り続ける。
 上りがきつく、いくら登ってもきりがない。
 しばらく登っていると、後方から一台の車がやってきて僕の前方で止まった。車の中には数人の男がいて、話しかけてくる。
 またうぜぇなぁ、と思い無視しようと思ったが、ひとりがライフルを持っていたので大人しく話し相手をすることにした。
 どうやら全員ラリってるらしく、まともに会話できない。例によってハシシをすすめられる。もう勘弁して欲しい。
 適当にあしらって再び出発。

 上りはきついが、景色は最高にいい。
 植物はほとんどなく、ひたすら白い山と断崖が続いている。太陽はカンカンに照っているが、標高が高いため気温は割と低い。
 視界の及ぶ範囲に人間はおらず、荒涼とした風景の中で絶え間なく風の音が鳴り響いている。

 道の脇に枯れ木がポツンと立っていたのでそこで休憩。みかんやナンや野菜を食べる。わずかな木陰だが、かなり涼しい。
 こうして小休止しているときが、最も旅を実感できる。どんな立派な建造物や観光名所よりも、この荒涼とした景色と風の音のほうが感動できる。
 おそらく、同じものを見てもバックパッカーにはなんの感慨もわかないだろう。

 休憩後、ウォークマンにRAGEのテープをセットして走りはじめる。RAGEのスピードメタルに合わせガンガンすすんでいると、道はようやく下りになった。
 クェッタを目指し猛烈な勢いで突き進む。クェッタまでもう一日必要かと思ったが、なんとか今日中に到着できそうだ。
 しかし100kmこえたあたりからひざに負担がかかりはじめつらくなってくる。徐々に街が見えてきたので必死に進む。
 クェッタのエリアに入ったので、少し道でも聞こうかと人を捜しながら進んでいると、前方の道路を横切ろうとしているマウンテンバイクのオトコを見つけた。
 と、その瞬間、キキィィィィーッというブレーキ音が響き渡る。
 MTBの男に向かってタクシーが突っ込み、男をはねとばした。
 男はボンネットに乗り上げ、そのままタクシーの天井を転がり道路に叩きつけられてしまう。
 タクシーが止まり、運転手が男の元にかけよる。
 男はなんとか生きているようだ。頭から血を流している。
 運転手は男に何ごとかを話、そのまますぐに逃げていってしまった。
 ほんの一瞬のできごとだった。まわりにいる人が男のまわりに集まってくる。
 僕はそのまま走り去ったが、恐ろしさで心臓がドキドキしていた。自分もあの男と同じ運命を辿るかもしれない。はねられたところで、車が逃げてしまえばそれで終わりだろう。
 びくびくしながら進み、なんとかクエッタの中心部にたどり着いた。

 クェッタでは、旅行者の間で有名なムスリムホテルというところに泊まる。トイレ・シャワー付きの割と広い部屋が70ルピー(210円)かなり安い。
 宿には2人組の日本人旅行者がいた。ひとりは見事なアルビノで、最初は白人かと思った。
 ホテルのそばの屋台でチキンを食べたり、商店で果物を買ったり、ホテルのカフェで食事したりする。
 138kmも走ったので疲れ果ててしまい、食事後なにもせずに寝る。

 街に着いた嬉しさで食い過ぎたせいか、朝方気分が悪くて目が覚めた。吐き気はなんとか我慢できたが、腹の調子が悪くなる。
 2回ほどトイレに行き、少し眠る。起きてからまた3回トイレへ。行くたびに便が液化していく。
 昼になんとか起きだして街をまわる。ケロッグのチョコフレークを見つけたので買う。冗談じゃないほど高かったが、消化良さそうだったので思い切って購入。
 宿に戻り文庫本を読みながら休む。何度も便所に行きケツがいたい。
 熱が38℃になったのでさっさと寝る。


 昼過ぎまで寝てから、買い物へ。
 ホテルにはもうひとり日本人がやってきて、四人で話をしたりめしを食ったりする。
 パキスタンの印象の話になり、「イスラム国にはなにか抑圧されたようないやな雰囲気がある」と言ったら、ひとりがそんなことはない、それは気のせいだ、と反論してきた。
 彼がいうには、パキスタンは良い国でいい人ばかりだとのこと。
 田舎町の武装した門番のチェックだとか、先日の興奮した人の群れだとかを見せてやりたい。やはり大きな街ばかりを巡っていつもホテルに泊まっているバックパッカーとは違うのだろうか。
 自分は悪い面ばかりを気にしすぎるのかもしれない。
 親切な人がたくさんいることはわかっているが、それよりも恐怖のほうが強く印象に残ってしまう。
 また、バックパッカーと会話していて気になるのは、パックツアーや一都市のみの観光をばかにするような発言があることだ。
 そんな旅の仕方じゃその国のことはなにもわからないという。
 しかし、バスや電車で移動し安宿に泊まり安い食事をしたところでその国がわかるものだろうか。
 僕のやっている自転車旅行だって、見るものの量としてはパックツアーと大差ない気がする。観光地のおいしいところだけをつまみぐいするパックツアーだって、充分良い旅行なのではないか。ケチケチとみみっちく旅するのがツアーよりも上等な旅だとはとても思えない。
 自分よりも遙かに大名旅行をしている人達が貧乏自慢をしているのを聞くと、なんだかばかばかしくなってくる。
 そして、そんな立派な旅行をやってる人がどんな会話をするかと思えば、他の土地で出会った日本人旅行者の女の子とどれだけ仲が良くなったかの自慢話。
 女の子どころか日本人と会話するのさえ稀な僕にとっては大変羨ましい話だ。
 こういうことを思うのは、僕の心の中にも「自分はバックパッカーよりもハードでスゴイ旅をしている。奴らよりもレベルが上だ」という気持があるからなんだろうか。

 相変わらずゲリ。

 

4/26

 クェッタには5日滞在した。パキスタンで立ち寄った都市の中では、もっとも地味な都市だった。街は薄汚れていて、色彩に乏しい。しかし、いちばん居心地が良かった。インド的な鬱陶しさがないためだろう。
 クェッタを出ると五百キロくらい砂漠が続くので、水をおおめに買っておいた。
 宿のみんなに別れを告げて出発。あいかわらず上り下りが続く。
 小さな街の商店でペットボトルのスプライトを買う。オヤジが話しかけてきたので、しばらく身振り手振りで話していたら、なぜかスプライトをタダにしてくれた。食堂でおごってくれるというのはあったが、商店でタダにしてくれるというのはめずらしい。とてもありがたい。
 カンカン照りで眩しいので、クェッタで買っておいた作業用のサングラス(工場で使う目に金属粉が入らないようにする眼鏡)をしてみる。なかなか具合がいい。
 と思っていたら、急に空が曇りだし、四方八方からめちゃくちゃに風が吹き荒れはじめ、雨が降ってきた。いや、雨というより泥だ。雷も鳴っている。クエッタを出てから地形の雰囲気が変わってきたので気候も変わるんだろうか。
 日が暮れ始めてから、小さな食堂を発見。めしを食べる。まずい。チャイを頼むと、今まで飲んできたものとちがい、ミルクが入っていない。紅茶のようだ。なかなかうまい。
 食堂の隣にガソリンスタンドがあり、その晩はそこで泊めてもらうことになった。

 


4/27

 ひたすら荒野を進む。視界には山と土ばかり。気分爽快だ。
 前方に小さな城のようなものが見えてきたので、なにかと思っていたら、警察/軍のチェックポストだった。
 このあたりにはアフガンゲリラが出るそうなので、見張りの砦なんだろう。
 写真を撮りたいと思ったが、この手の施設を撮影するとえらいことになる場合があるので我慢。
 そのまま通り過ぎようとすると……門のところにいた軍人に呼び止められる。
 砦からも人が現れ、軍人は三人になった。なにを言われるかと思ったら「写真をとってくれ!」ときた。
 いいのかよ……と思ったが、せっかくのチャンスなので砦とともに写してやった。なにかしつこく言われるかと思ったが、すぐに解放される。

 

 少し進むと今度は検問。パスポートのチェックを受ける。ここでもいろいろ聞かれることはなく、簡単に通ることができた。このあたりの人はあっさりしているようで、気が楽だ。
 昼過ぎになると曇りだし、昨日と同じように風と雨が強くなる。
 夕方には雨は止み、ちょうど小さな食堂が見つかったので、そこで泊めてもらう。
 このあたりでは、チャイ屋の仕組みが違うようだ。1杯2杯という単位じゃなくて、約1ポット(三杯飲める)で出してくる。
 また、食堂にも椅子やテーブルがなく、ひさしのしたに敷物があり、そこにあぐらをかいて座りめしを食べるようになっている。

 

4/28

 今までは岩石砂漠だったが、ついに砂の砂漠が登場する。
 ところどころ道路が砂でうまっていて、タイヤをとられてなかなか進めない。押すのも一苦労。気温もぐんぐん上がり、周囲には逃げ水が見える。
 時々道路の砂を除去するためのブルドーザーが止まっている。
 昼過ぎるとまたもや空が曇り風が強くなってきた。遠くにはいくつも旋風がうねっている。
 そして泥の雨。口を開けると泥が飛び込んでくる。ジャリジャリという感触が気持ち悪い。
 風向きはころころ変わり、進みにくいことこのうえない。体にはボタボタと泥雨が打ちつけ、オレはこんなところでなにやってんだろーなぁ、という気持になってくる。
 しばらく黙々と進んでいると、前方から割といい感じの車がやってきて、僕のそばで止まる。どうやら金持ちの若者らしい。車の中には五人いた。
 おまえこんなところでなにやってんだ、という感じで話しかけてくる。なんとか英語が通じるようだ。
 車の中は快適そうで、うらやましい。カーステレオからはロックが流れてくる。
 彼らはこの先のダルバルディンという街に遊びにいっていて、これからクェッタに帰るところらしい。
 ダルバルディンには安い宿泊施設があるそうで、場所を教えてもらった。
 なにか俺達にできることはないか?と言ってきたが、水も食料もそれなりにあるので、特に頼みたいことはない。そのままわかれる。

 雨は止み、緩い砂嵐の中を進む。ところどころに草原風のところがあり、そういうところには小さな集落がある。
 なにを好き好んでこんなところで暮らすんだろうか。こんなところじゃろくな仕事もないだろうに……。それでも、いちおうガソリン屋というのは需要があるらしく、粗末なテーブルにポリタンクに入れたガソリンを並べて売っている。写真はチャイ屋のじじい。なぜか娘と暮らしている。

 日が暮れる前になんとか街にたどり着く。意外に大きな街。空港もあるそうだ。
 先ほど教えてもらったレストハウスは、どうやらなにかの企業の保養施設らしい。一泊百ルピー(三百円)と言われ、持ち前の貧乏根性がムクムクとわき上がってくる。2ベッドの小綺麗ないい部屋だったが、別に快適さは求めていないので、そのへんの食堂で泊まったほうがいいかな、と思えてくる。
 そんなわけで、案内してくれたおやじに「金がないからやっぱやめるわ」というと、少し思案し「外ならタダだ。ついてこい」といい、裏の方に連れて行かれる。
 まぁ、外でも誰かの所有地内というのはそこらで転がって寝るより安全性が高く、安心感がある。
 おやじに連れて行かれたところは意外にもちゃんとした部屋で、ベッドこそ食堂にあるような縄ベッドだったが、トイレとシャワーまでついた六畳ほどの個室。これはありがたい。
 荷物を置いて街を歩いてみる。バザールや雑貨屋は品揃え豊富で、ここは砂漠の拠点となる街だということがわかってくる。
 普段自転車で街をまわっている時はまわりから注目されるが、ひとたび自転車を降りなにも持たずに歩き回ると、誰も僕なんか見向きもしない。注目されないと逆に落ち着かなかったりする。奇妙なものだ。
 宿に戻ってからシャワーを浴び、スッキリする。

 

4/29

 暑い。と思ったら砂嵐。と思ったら雨。天気の変化以外にはひたすらなにもない一日。

 ガソリン屋で泊めてもらう。小さな小屋。
 夜が更けてくると、なぜか人が集まってくる。七〜八人くらいか。
 みんなでチャイを飲むから来いといわる。めしも食わせてもらう。
 おっさんたちの無関心度はかなり高く、どこから来た? どこへ行く? などの基本的質問のあとはなにも聞かれなかった。みんなほとんど喋らずもそもそと飯を食ったりチャイを飲んだりしてる。いかにも砂漠の民といった感じだ。
 わずらわしくなく、それでいて異国情緒を楽しめ、なかなかのティータイムだった。
 外では嵐が荒れ狂っていて、衝撃で土の壁がぽろぽろと崩れてくる。異国情緒だ。

 

4/30

 360度の地平線。視界にあるのは、空と土と道だけ。

 これまでは遠くに山々が見えていたが、それもまったく見えない。なんとも爽快な眺めだ。

 それはいいが、どこからともなく飛んでくるハエが鬱陶しい。こんななにもないところになぜハエがいるんだろう。普段はなにを食べているんだろう。ハエがいるということは蛆がいるはずなんだが、蛆のエサになりそうなものは見あたらない。道路脇には枯れ草にしか見えない土色の草が生えている。草があるくらいだから虫や小動物もけっこういるんだろうか。
 とにかくハエが鬱陶しい。それまでも鬱陶しいハエはいたが、ここのハエは刺してくる。このハエは眠り病を媒介するツエツエバエだそうだ。眠り病は発病したら100%の死亡率。
 ラホールで買った蚊避けをつけてみる。蚊には絶大な効力を発揮したが、ハエにはちっとも効かない。
 猛ダッシュすればなんとか振り切れるが、やつらはチャッカリと荷物にとりついている。スピードが落ちるとまた血を吸いにやってくる。それどころかどこからともなく追加のハエがワラワラと集まってくる。気が狂いそうなほど鬱陶しい。
 ひーひー言いながらノーククンディの村につく。

 ぐったりしながらチャイを飲んでいると、ひとりのサイクリストが現れた。

 

 ドイツ人の気むずかしそうな男で、名前はクラウス。30歳くらいか。体も大きければ自転車も大きく、荷物はしっかりした金属ケースに入っている。なんかいかにも日本人が持っているドイツ人のイメージだ。自転車にはなんとアラームがついていて、パキスタン人のおっさんがコッソリ自転車に触ると、ピロピロと警報がなりひびいた。クラウスは怒って「なぜさわった!」とパキ人のおっさんを責める。
 クラウスは、ドイツからトルコ、イラン、パキスタンとやってきて、これから僕が通ってきたルートで東南アジアへ向かうらしい。
 お互いの持っている情報を交換する。
 自分にとっては相手はまだ見ぬ土地を旅してきた先輩で、相手から見れば僕のほうが先輩だ。サイクリングのこういうところもおもしろい。
 ここから五十キロほどすすんだところにレーダー基地があり、そこで泊めてもらえるらしい。今晩の宿の心配はなくなった。
 クラウスは終始むっすりしていて、雑貨屋で飲み物や食料を購入するときも気むずかしそうに店主と交渉していた。
 最後に写真を撮らせてもらい、別れの前に握手をする。これがなんともキツイ握手で、手が握りつぶされるかと思った。僕も負けずに握り返す。
 気むずかしいおっさんかと思ったが、最後は笑顔を見せてくれた。この強烈な握手から察するに、心の内はかなり熱いやつなんだろう。
 僕は最後に「グッドラック!」と言って親指を立てる。彼もにやりと笑い「グッドラック!」
 いかにもサイクリストらしい別れかただ。ゾクゾクしてくる。
 「シーユーアゲイン」じゃないところもいい。
 クラウスは、僕が通って来た道でなにを見るのだろうか。
 少し元気が出たので、またのそのそと進む。

 時々ラクダに出会う。だいたい一家で行動している。お父さん、お母さん、子供の、3〜4匹の群れだ。たくさんの群れの場合もあるが、これは野性なんだろうか。それとも放牧してるんだろうか。

 しかし、ラクダはでかい。恐竜でも見ているような気になる。高さ3メートルはあるんじゃないか。

人間を見ても驚かず、のそのそと歩き、たまに興味深げに見つめてくる。まぁ、顔はブサイクだが、家族仲良くトロトロ歩いてる光景はなかなかかわいらしい。

 日が暮れ始めると、前方にでかいアンテナが見えてきた。あれがクラウスの言っていたレーダー基地だろう。
 看板にマイクロ波なんとかかんとかと書いてある。軍の施設らしい。
 泊めてくれ、と頼むまでもなく道路の前におっさんがいて、こっちに来いと誘ってくれた。
 たぶん、施設の中から外を見ていたため、僕が来ることはずっと前からわかっていたんだろう。
 施設内には2人の人間がいるらしい。これまた無関心というかあっさりしているというか、僕が泊まるのは当然のことのように空き部屋に通してくれた。素性とかもほとんど聞いてこない。これがバロチスタン砂漠の流儀か。すばらしい。
 俺達はちょっと用があるから待っていてくれ、といい、2人は外に出ていった。
 なにをするのかと思ったら、沈む夕日に向かいお祈りをはじめた。
 こんな砂漠で誰もみていないというのに、熱心にお祈りをしている。これが本当の信仰心というやつなんだな、と思った。彼らにとってお祈りをするのはトイレに行った後手を洗うのと同じくらい当然なんだろう。
 日本人にとっては信仰心なんて胡散臭いものだけど、それが空気のように当たり前に周囲に満ちている人々にとっては、あらゆるできごとがアラーの神の思し召しというのはあたりまえのことなんだろう。
 僕たちが、自分でたしかめたわけでもないのに「地球は太陽のまわりを公転している、地球は丸くて重力によって表面に張り付いている」と信じ込んでいるのと同じようなものなんだろう。
 こういうことを考えていると、神様の話題が出るたびに「非科学的だ」といい、熱心なクリスチャンやムスリムや新興宗教の信者を狂信者と呼びながら、学校で習う物理や科学を盲信している日本人も狂信度では似たようなものだと思えてくる。
 しかも科学を盲信しているくせに、実際は重力だとか素粒子だとかがなんなのかサッパリわかっていない人も多い。科学に疑問も抱かず、自分で調べることもせずにそれを「常識だ」といい、宗教的な理屈をトンデモだというのはかなりおかしいのではないか。新興宗教の下っ端信者と変わりない。

 パキスタンにおいては、アラーの神を信じていない僕のほうが変わり者だ。みんながアラーを信じていて、すべてのことをアラーに結びつけて考えているのなら、それは実際に神様がいるのと同じ事なのかも知れない。
 ものごとの因果関係とか理由とかをきめているのは結局は個人の認識なんだから、世界の真実というのは脳味噌の数だけあるんだろう。
 こう考えていると、怪しげな新興宗教にはまるというのもなんとなく理解できるような気がしてきた。僕は高校の頃にブルーバックスとかのお手軽物理入門書を読みまくったせいで宗教的な信仰心やオカルト信仰を持つことはできなくなってしまったけれど、その「宗教を信仰できない」想いの強さイコール、「信仰心」の強さなんだろう。
 あの人はあんな宗教にはまってる! 何十万円もするツボを買ってる! というのも笑う気にはなれない。笑うけど。

 しばらく部屋で休んで日記を書いていると、めしができたから来いという。粗末な食事だったが、そこそこうまい。
 建物にはちゃんと電気がつき、壁はしっかりしたとコンクリートだ。こういう文明を感じさせるものの中だと落ち着く。
 ちなみに、ここのアンテナを立てたのは日本の技術者だそうだ。ネパールやインドの橋といい、日本の建設野郎はどこにでも現れるんだなぁと思った。

 

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