6/6

 国境にはたくさんのイラン人がいて、なかなか通れない。トルコ側の受付所には、これでもかと言わんばかりにセクシーねーちゃんのポスターなどが貼ってあり、イラン人達はそれを食い入るように見つめている。なかなか笑える光景だが、気がつくと僕も食い入るように見つめていたりする。
 税関でモタモタしていると、山田さん、マヌエル、マイケルの三人組と再会。もう会えないだろうなぁと思ってたのに。彼らも僕がなぜこんなにはやく国境についたのかと不思議がってた。僕はズルをしたのだ!!
 国境を抜けたところの街でマイケルとマヌエルはビールを大量に買う。トルコ最初の街ドグバヤジットで泊まるホテルをきめ別れる。

 ノアの箱船が漂着したと言われるアララト山が見える。富士山そっくりでとても綺麗。

 しばらく走って、宿に到着。山田さんたちとさっそくめしを食いに行く。トルコのめしはかなりうまい。が、量が少なく高い。
 宿に戻って酒盛り。半年近く酒を飲んでないので、あっというまにアルコールがまわる。500ミリリットルの缶3本でダウン。マイケルとマヌエルは一人10本近く飲んでる。信じられない。

 

6/7

 山田さん、マイケル、僕の三人でそばの山の上にあるイシャクパシャサライという城を見に行く。5キロくらい離れていたが歩いていくことに。途中子供の集団と遭遇し、子供達と遊びながら山を登る。子供達はガキ大将に従って同じ行動をとったりするのでおもしろい。なんか、自分にもおぼえがあるなぁと思う。
 城にはトルコ人ツーリストもかなりいて、若い娘はぴちぴちのTシャツとショートパンツで悩殺的だ。なぜかみんなすごい巨乳。鼻血が出そうだ。

 

 しばらく城を見て回ってから街に戻る。僕は地図を探してあちこちうろつきまわった。本屋はあっても地図はみつからない。そのへんにいたトルコ人の男にどこかに地図はないかと聞いてみたところ、「待ってろ」といいどこかに走り去る。しばらくすると、地図を持ってきてくれる。どうやらどの家庭にも無料で配られる地図のようだ。日本で言うと、カレンダー付き地図みたいなもの。かなりしっかりしたトルコ全図の地図で、普通に買えば千円はしそう。それをタダでもらえた。ありがたい。

 

6/8

 宿を出て先に進む。道は悪くパキスタン並。
  イランやパキスタンと違い、道の脇にはかなり植物が多い。

 食堂でめしを食う。やはり高い。もそもそとめしを食っていると、デブオヤジがやってきて店主となにか話している。そしてビデオを見始めるが、これが無修正のエロビデオ。エロビデオはいいが、食事中にエグいのを見せられるとなんだか気持ち悪くなってしまう。
 トルコでは30キロおきくらいにガソリンスタンドがあるようだ。イランやパキスタンのように食べ物や水の心配をしないでいいというのは気が楽だ。

 

6/9

 向かい風がきつい。
 道の脇には小川が流れてたりする。砂漠地帯を抜けたんだなぁという気になる。
 夜はガソリンスタンドの横の、使われていないロカンタ(食堂)で泊めさせてもらう。チャイを山ほど飲ませてくれた。

 

6/10

 めしが高いので自炊をはじめた。マカロニとジャガイモ、トマトなどを一緒に茹でてたべる。うまい。

 道路工事中の労働者にさそわれて昼飯。

 

6/11

 戦車が道を走ってるのを目撃。時速40キロくらいだ。砲身を後ろ向きにして疾走している。そういえばこのあたりは民族問題でいろいろ揉めていて、大使館からは渡航自粛か何かが出ていた。

 トルコのガキ共はやたらと金くれ金くれとうるさい。イランよりも生活水準は高いはずだが、子供の意地汚さはどの国でもたいして変わりないということか。

 イランではほとんど見なかったうんこタワー(メロンパン型に固めた家畜の糞を円錐状に積み上げてつくる塔)がここトルコで復活した。しかもトルコのうんこタワーはインドよりもすごい。高さが違う。直径が違う。そして、メロンパン型に固めたうんこで塀を作っている。長さ10メートル以上、高さ2メートルほどだ。これでうんこタワーや謎の小屋を囲っている。ネパールの青空トイレ、パキスタン・イランのうんこハウスに続き、ついにうんこ塀が登場した。うんこを利用した作品としてはもっとも大規模で迫力がある。あれだけの量のうんこを一度に目に収めたのは生まれてはじめてではないだろうか。

 道路のアップダウンがなかなかきびしい。
 パンクしたのでついでにタイヤも交換する。予備のタイヤを買うが、MTBタイヤしか売っていない。約千円。

 

6/12

 道が悪くアップダウンがきびしい。

 夕方雨が降ってきたのでカッパを着ようとしていたら、そばの鉄道管理小屋から男が出てきてこっちへこいという。
 その晩はそこで泊めてもらえた。雨の日に屋根のあるところで寝られるというのはとてもうれしい。

 

6/13

 雨が降ったりやんだり。ゴアテックスの雨具はかなり高機能で、着たまま走っているといつの間にか服が乾いている。2万円もするだけのことはある。

 

6/14

 今日も雨。その上チェーンがはずれたりパンクしたり。ついていない。
 夜は小さな村の入り口のバス停で寝ることにする。妙なじじいが現れなにか言ってくるが、言葉がさっぱりわからない。しばらくするとじじいはいなくなるが、やがてめしを持ってきてくれた。ありがたい。
 さぁ寝るかと準備していると、さっきのじじいが別のじじいをつれてくる。
 村の方に呼ばれ、誰も住んでいない小屋をかしてくれる。
 薪ストーブをつけてくれる。暖かい。極楽気分だ。

 

6/15

 上り下りが連続し、つらい。道も悪く石畳のところがある。イランでは長い距離のぼったあと長い距離下るという感じだったが、トルコでは小刻みにアップダウンを繰り返すようだ。(写真はわりとまともな地形)

 夕方、作りかけのガソリンスタンドを発見。軒下で寝ようとしていると、あやしいじじいがあらわれる。上に来いと言われる。
 部屋を一つ貸してくれる。めしも食わせてくれる。ホットシャワーまででる。至れり尽くせりだ。

 

6/16

 出発しようとすると、じじいが金をよこせと言ってくる。千円くらい要求してくる。アホらしいので適当にごまかしダッシュで逃げる。じじいは後ろでギャーギャーわめいていた。
 雨とアップダウンに悩まされながらじりじりと進む。

 

6/17〜6/19

 ひたすら雨とアップダウンに悩まされる。パンクもする。もうかんべんしてくれと叫びたい。
だいたい、道の作り方が間違っている。山に道を造るときは、円周にそって高低差があまり出ないように作るはずなのに、トルコでは目的の方角に一直線だ。ひとつの坂を上ると、遙か遠くまでアップダウンをくりかえす道が見通せ、うんざりしてくる。

 いつもはマカロニとスパゲティを作っていたが、米を買ったのでたきこみごはんに挑戦。トマトやじゃがいもやピーマンを刻んだものを米と一緒にたく。なかなかうまいが、いつも食ってるスパゲティと同じ味だ。まぁ具が一緒だからあたりまえか。

 

6/20

 木陰で休憩しめしを食っていると、トルコ人ファミリーがあらわれ敷物をしいてめしを食い始めた。僕も呼ばれたので一緒にめしを食う。
 父親と息子が熱心に僕の自転車を見ている。
 やがてファミリーは去り、僕もそろそろ出発しようかと思っていると、自転車がなにかおかしい。
 なんなんだろう、と思いながら支度をし、さぁ出発しようと思ったら、ようやくなにがおかしいのか気付いた。

 メーターを盗られた!!

 親子が熱心に自転車を見ていると思ったら、メーターをパクってたのか!! めちゃくちゃ腹が立つ。まわりの樹をパンチしたりキックしたりして暴れる。どうせやつらが持っていったって使えないのに。悔しくてたまらない。インド人でさえ盗まなかったのに、まさかトルコでこそ泥が出るとは。
 イライラしながら進む。道は下りになり、しかも砂利道。注意力散漫になっていたので、いつの間にか時速40キロくらいスピードが出てしまう。
 やばい、と思った瞬間タイヤがすべり、思い切り転んでしまう。
 痛くてしばらく動けずうなっていたところ、通りがかった車の人が助け起こしてくれ、そのまま病院に運んでくれる。
 腕と頭を少し擦りむいた。頭を打ったせいか少し気分が悪い。病院では消毒とちょっとした検査をしたが、タダにしてくれた。
 その日は助けてくれた車の人がそばのガソリンスタンドまでつれていってくれ、そこで泊めてくれた。自転車も無事だった。

 

6/21

 腕に包帯を巻いているせいか、みんな妙にやさしい。食堂やガソリンスタンドに立ち寄るとたいていおごってくれる。ありがたい。

 トルコの首都アンカラに到着。大使館に用があるのでとりあえず宿を探す。地球の歩き方で4ドルほどと紹介されていた宿が倍の値段だった。しかたないので別の宿を探す。
なんとか500000リラ(400円)のところを発見。
 驚いたことい、宿には日本人旅行者がいた。名古屋出身の人だ。

 

6/22〜6/25

 名古屋の人はなかなかの強者ツーリストで、もう3年くらいずっと旅を続けているという。金・パスポートも全部盗られたことがあったそうだ。他にもものすごい強者っぷりをあちこちで披露しているらしい。それを自慢げに話すのではなく、とぼけた口調でおもしろおかしく語るので嫌味がない。

 大使館に行くと、イランで家族に頼んでおいた手紙が届いていた。中にはビリージョエルとリックスプリングフィールドのテープが入っている。
 母親の手紙によると、日本では小学生を殺して首を切る猟奇殺人鬼が跳梁跋扈しているらしい。恐ろしい世の中になったもんだ。また、イランで大地震があったそうだ。ちょうど僕がイラン入国したころらしく、僕の走っていたところの北300キロほどのところで何千人も死んだという。
 それ以外にも、友人が手紙をくれていた。友達の近況などが書いてあり、たった半年前のことなのにとてもなつかしい。

 

6/26〜6/29

 アンカラを出る。
 あいかわらず激しいアップダウン。泣きたくなる。起伏の激しい土地なのに、道はまっすぐ。ひたすら一直線に伸びている。絶対間違ってる……。
 イスタンブールに近付くにつれどんどん物価が上がっていく。それどころか、トルコ入国時には1ドル140000リラだったのが、今では150000リラだ。

 大きな峠もあり、がんばって進む。

 

6/30〜7/21

 イスタンブールに到着。コンヤリという日本人宿に泊まる。部屋があいてないので、中庭に泊まる。
 イスタンブールには3週間滞在。これまでの疲れが一気に出たのか、ちっとも動く気になれなかった。
 一時は旅の目的地でもあったが、特に「やった辿り着いたぞ!」という感慨は湧かない。

 アンカラ・イスタンブールはそれはもうたいした都会で、日本の地方都市とかわりがない。何でも買えるし物価も高い。ただ、そこそこ安いものも見つかる。街角には音楽テープを売っている店があり、800円くらいで買うことが出来る。アイアンメイデン、サヴァタージ、マノウォー、レイジ、マイケルキスクなどを購入。気がつけば、自転車のバッグの中には20本のテープが並んでいた。
 街にはゲーセンもあり、僕がまだ見たことがない日本の最新ゲームも入っていた。
 シマノの立派な自転車屋もあり、そこで盗まれたのと同じメータを発見。高かったが購入。

 イスタンブールでは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーのビザをとらなければならない。しかし、ハンガリー大使館にいったところ、日本人はビザ無しでOKだそうだ。
 ブルガリア大使館では、欧米人は楽々通してもらえるのに、アジア人はかなり待たされる。ルーマニアビザは楽にとれた。

 イスタンブールではいろんな旅行者にあった。
 中でも印象的だったのはチカねぇという姉さんだ。おっとりしてるわりにはかなり強者ツーリスト。しかも、宿泊代をケチるため、僕と同じく中庭の青空ベッドで泊まるという剛胆さ。かなりあなどれない。性格はとことんのんびりで、他人の悪口や不平不満などは絶対に言わない。かなりイカす姉さんだ。

チカねえと河村さんと僕。

 

 他にもインド、パキスタンであった山口さん、アンカラであった名古屋の人と再会。世界一周中のサイクリストとも会う。

 七月なかばからは大学生が増えた。最初のうちは全然話が合わなかったり無視されたりして少々寂しかったが、小汚い格好で中庭に何日も泊まってるやつなんて怪しくて話したくなかったんだろう。
 それでも中にはフレンドリーな大学生もいて、半年近く旅行していると「すごーい」と驚いてくれて、ちょっと照れくさい。どうやら、行き先の計画などをちゃんと決めている人達はあまり話しかけてこず、なんとなくいきおいできた人達とは仲良くなれるようだ。実際のところ、僕も海外旅行ははじめてで、バスに乗ったり観光したりの技能はまったくないので、大学生の子達にすごいすごいと言われると困ってしまう。旅の技術と野宿の技術は全然違うんだが、半年海外にいるというだけでベテランに見えるらしい。

 アンカラで出会った名古屋の人「ムラさん」(エロ話の最中に「いつもムラムラしているからムラさん」とあだ名がついた)は、3年も長期旅行しているわりには誰とでも仲良くなれるようで、斧をもったじじいに追っかけられたりイランで3ヶ月生活したりと妙な体験談を披露していた。斧じじいとその家族に袋叩きにされた時、暴漢撃退用のスプレーを落としたらしいが、それを家族は拾っていたらしく、次の日顔と頭を腫らせていたという話はおもしろかった。どうやらヘアスプレーか何かと間違ってとうがらし入りの痴漢撃退スプレーを使ってしまったらしい。

 僕は大学生の子達とけっこう気があったが、インド方面からきた長期バックパッカーたちは大学生たちとはあまり仲良くなれないようだった。
 数日の観光旅行者と長期の貧乏旅行者の間には微妙なミゾがあるらしい。僕はゲームとか漫画とかが好きだから、大学生達とは話が合った。
 バックパッカーたちとは同じ長期貧乏旅行なのに、旅の形態が違うだけで話がいまいち噛み合わないというのは奇妙なものだ。

 宿では、チカねぇ、青年海外協力隊に参加したあとイギリス留学中の河村さん、テレビ番組を作る仕事をしていてオフの時には海外でノンビリするナルミさん、アジア方面からきた精力的な旅行者寺井さんなどと仲良くなり、この4人がつかのまの宿のヌシのような感じになった。

 宿のみんなに、アンカラで受け取った母からの手紙にあった猟奇殺人の話をすると、「あぁ、あれね、犯人は14歳の少年だったんだよね」と言われる。
 僕は最新情報のつもりだったのに、もう日本では事件が解決していたようだ。考えてみれば、手紙を送ったのが5月半ばで、母が返事を書いたのもその1週間以内くらいだ。僕が最新情報だと思っていたのも、実際は2ヶ月前の事件だった。

 やがて、チカねえや寺井さん達も去り、長期滞在者は僕だけになった。そろそろ動かなければならない。
 とても楽しい3週間だった。こういうのも旅の醍醐味というやつなんだろう。今まではムキになって進みすぎていた。
 ネパールやインドで長期滞在者を見ると「コイツらは一日中宿でゴロゴロして、なんのつもりだろう」と思っていたが、自分が同じ状況になってみると、その楽しさがよくわかる。

 

7/22

 出発。

 3週間のだらけた生活でかなり体力が落ちたらしく、危なっかしくふらふらと進む。

 

7/23

 チェコ人のサイクリストと会う。2人組の青年。言葉があまり通じないが、東欧諸国の情報を聞く。
 なんでも彼らは東欧はビザなしで自由に旅行できるが、西欧はだめだそうだ。僕とまったく逆だ。
 夕方、ガソリンスタンドの横に労働者用の宿泊所があったので行ってみる。ひとり英語をはなす男がいて、泊めてもらえることになった。主にクルド人が働いているらしい。
 食堂に連れて行かれ、給食のような感じでトレーやさらをとり、順番にめしをもらっていく。なかなかうまい。山ほど食べさせてもらう。
 2〜3交代制らしく、夜中にごそごそと人が入れ替わる気配がある。

 

7/24

 朝飯もたっぷり食わせてもらい宿舎を出る。
 このあたりには、ひまわり畑が一面に広がっている。油をとるらしい。時々ひまわりマークの工場がある。

 夕方、使っていないロカンタがあったのでそこに入り込んで寝ることにする。
 すると、どこからともなく怪しげなじじいがあらわれ、めしや敷物を持ってきてくれる。
しかし、なにか様子がおかしい。寝ているすきに襲われたりしないだろうか。じじいの家はロカンタの裏の少し離れたところにあり、ものすごいあばら屋だ。
 もしかしたらこのロカンタはじじいの持ち物なのかも知れないと思ったが、あのあばら屋を見るととてもそうは思えない。まぁ、どっちにしても僕は不法侵入で弱い立場なんだが。

 

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