10/12

 朝、空き地をよく見回してみると、コンドームがいっぱい落ちていた。そういう場所だったか。
 ポルトガル国境に到着。しかし誰もいない。日曜は休業なんだろうか。国境が休業だなんて、そんな話きいたこともない。
 ちょっと心配だったが、誰もいないことにはどうしようもないのでそのままポルトガル入国。
 いよいよ最後の国だ。

 

10/13

 ロカ岬まであと200キロを切った。明日には到着するだろう。
 ツーリスト生活が終わるだなんて信じられない。高校を卒業後これで学校生活が終わるとは思えなかったという気分に似ている。
 ずっと田舎っぽいところを走ってきたが、リスボンに近付くにつれ現れる町の規模が大きくなってくるような感じがする。
 もうずいぶん旅を続けてきたのに、いまだに寝るところを見つけるのは苦労する。
 明るいうちにテントを張ったりすると目立ってしまいいやなので、日が沈みはじめるまで走り続けるが、いったん暗くなり始めると今度はなかなか良いところがみつからない。
 暗くなるに従い焦りが出始め、日が沈んでしまうと絶望的な気分になる。
 今日は運良く道の脇に小さな公園がみつかった。テーブルがある。
 椅子に腰かけテーブルでめしを作っていると、すごく幸せな気分になる。
 物置小屋みたいなのがあったのでそこの陰で寝ようとするが、犬のうんこだらけ。
仕方ないので食事をしたテーブルの上で寝る。どうも下が平らなところじゃないと落ち着いて寝られない。持ってるマットがぺったんこなせいもあるけれど。

 

10/14

 よく眠れた。天気は快晴。ウォークマンにRAGEのテープをセットして出発。
 ロックに感動して元気を出すとか、詩に影響されなにかをやるとかいうのはすごくカッコ悪いことだとわかっているけれど、そのおかげでここまで来ることができたと思う。子供っぽい行動だけど、身も心も大人だったら、ここまで来ることはできない。
 正直言って、この旅に出るのは怖くて仕方なかった。もう二度と日本に帰れないかもしれない、どこか誰も知らないところで死んでしまうかもしれないと、勇気が出ずになかなか出発できなかった。それでも、好きなヘヴィメタルを聴くとやる気が湧いてきた。
 RAGEというバンドにRAW CARESSという曲がある。安定した環境で物足りなさを感じつつ悶々と暮らしている男が、若く力強かったころのことを思い出し、再びなにかに挑戦するという歌だ。この曲を聴くと元気が出る。

Peter Wagner:Raw Caress

今度こそ風が俺を前に押し出してくれる
重苦しい病んだ状況にいるのはもううんざり
心の安まらぬ老いた船乗りのように
自由で力強い意志を持っていたころの幻影に苛まされている

そして、暗闇に包まれ成長
が止まったとき 終焉が近付き
自分で作り上げた安全な牢獄をあとにし
心を引き裂き荒れ狂う嵐に身を投じ……

苦痛と悲惨な体験に傷つけられた俺は
またここから出発する
今こそ冷たい現実に向き合うのだ
チャンスは今この手の中に
俺にとって人生とは 素肌を愛撫されること

そして より強靱な骨組みを作ろうとした途端
再びすべてを破壊されてしまう
いくら悲劇的な運命でも
まともな結末があるようだ

手を伸ばせ 悠久なる時の流れは永遠に続く
見上げるがいい すぐに夜明けが訪れ再び陸地が見えるだろう

苦痛と悲惨な体験に傷つけられた俺は
またここから出発する
今こそ冷たい現実に向き合うのだ
チャンスは今この手の中に
俺にとって人生とは 素肌を愛撫されること

 昼頃、海が見えた。大西洋だ。海を見るのは久しぶり。イスタンブール以来だ。よく晴れているので反射光がまぶしい。
 山が沈んだような地形で、海岸近くはアップダウンがはげしい。昼すこし過ぎロカ岬に着くと思ったが、なかなかたどり着けない。
 結局、4時にロカ岬に到着。出発からちょうど9ヶ月。
 人の話ではたいしたことない景色ということだったけど、そこそこかっこいい眺め。いちおうユーラシア大陸最西端という観光地なので、人がけっこう多い。日本人もいる。アルプスだとか極端な場所ではないので自転車で来ているのを見てもあまり驚いてるようすはない。
 まぁ、普通に旅行していればロカ岬なんてただの岬だろう。

 とにかく到着した。ここより先にもう道はない。ユーラシア大陸の自転車横断が終了した。(正確には横断とは言えないけど)
 なにかすごい啓示でも訪れるかと思ったが、そういうことはなかった。
 感極まって泣けてくるかとも思ったが、それもない。
 今日はリスボンまで行くつもりだったが、もう夕方なので岬にテントを張って寝ることにした。

 土産物屋に行き「ロカ岬証明書」みたいなものを買う。こんな紙っきれが600円かよ、と思ったが、まぁ目的地なんだからいいかと思うことにする。
 さすがに岬だけあってなかなか風が強い。岬に沿って張り巡らせてある腰くらいの高さの石の塀に腰かけ、パンと桃缶を食う。めしはどこで食ってもうまい。
 このまま大西洋に沈む夕日でも眺め続けるか……と、ボーっとしながら海を見る。

 すると、岬に続く道を2人の小汚いサイクリストが突っ走ってくる。
 あの小汚さはどう見ても日本人だ。まさか旅の最後に日本人サイクリストと出会うとは思わなかった。
 彼らと挨拶をし、名乗ろうとする。すると、一人が「ちょっと待って! 名前をあてさせてください!」とわけのわからないことを言う。

 「あなた、サイクリンガー明でしょう!?」

 えーっ!? なんで知ってるの!?

 彼らは、これまで僕があちこちの宿で残していた情報を見ていたらしい。僕のほうが何週間か先行していたが、彼らはトルコからギリシャ〜イタリアと船を使いながらきたのでちょうどここで差がゼロになったようだ。「もしかしたらサイクリンガー明と会うかもね」などと冗談で言っていたらしいが、ほんとに遭遇してしまいビックリという様子だった。
 今日は3人で岬で野宿ということになった。9ヶ月旅してはじめての他のサイクリストとの野宿だ。
 男の一人はイワサワさんといい、自衛隊出身の22歳。この若さでレンジャー部隊の曹長だったそうだ。知り合いのヤングサンデーの編集者に「おまえ、歩いてユーラシア大陸横断すればギネスに載るぞ!」とそそのかされたものの、中国を2〜3週間歩いて「こりゃやっとれん」とギネスはあきらめたそうだ。そして人民自転車を購入して旅を続け、チベットで金がないというオランダ人サイクリストからMTBと装備一式を丸ごと購入したらしい。
 もう一人はヨコタさんという多少落ち着いた感じの26歳の青年。彼は香港から飛行機を使ったりして東南アジアをまわった後ネパールに行き、ヒマラヤでイワサワさんと出会い以後一緒に旅を続けたそうだ。

 記念撮影会が始まる。ロカ岬に沈む夕日をバックに、アホみたいにカッコつけた写真を撮ったりする。
 なんて楽しいんだろう。旅の最後にこんなことが起きるなんて。
 運命だとか奇跡だとかは信じないけれど、今日ばかりはこの偶然に感謝したくなる。これまで出会ったサイクリスト達が、別れの際に残した「GOOD LUCK」という言葉が、今日実ったという感じだ。
 彼らは僕と同じものを見て、同じ道を走ってきた。僕がどれだけ苦労したか、どれだけ楽しんだかが、彼らには言葉を使わずともわかるのだ。

 みんなでめしを作る。僕はいつも通りのごった煮スパゲティ。彼らは肉入りカレー。
 僕のスパゲティは「うまい!」と喜んでもらえた。彼らのカレーは怪しげなペーストを使い(分量がわからず適当)いいかげんに作ったので、正直かなり悲惨な味だった……。

 彼らはビールやシャンパンを持っていたので、わけてもらって乾杯。旅の話をしながら盛り上がる。まったく、こんなことになるなんて信じられない。

 その後、ヨコタさんはすぐに寝てしまったので、イワサワさんと夜遅くまで話し続ける。

 

10/15〜10/17

 3人でリスボンへ向かう。ギアがかなり摩耗して、上りで強く踏み込むと空回りしてしまう。ちょうど辿り着いたところでダメになるとは。
 立ちこぎをせずにじっくりと力を入れてこげば大丈夫なので、なんとかだましだまし進んでいく。
 リスボンではユースに泊まることになった。3人で部屋に入ると、すぐにもう一人の日本人旅行者が来た。ヤマダさんといって、アフリカからきたらしい。

 ヨコタさんはこれから帰国するが、イワサワさんは喜望峰を目指すという。一緒にいかないかと誘われる。
 現在所持金は30万円。帰りのチケット代が10万円、自転車があちこちガタがきているので、それらを直して2万円。アフリカ諸国のヴィザ代が2万円。マラリア薬、地図などの雑費が1万円。これで15万円。
 喜望峰まで通れないところを船やバスで移動したとしても、最低4ヶ月はかかる。1ヶ月3万5千円くらいしか使えない。ギリギリだ。
 悩んでいると、同室の東洋系オーストラリア人が「たった一度の人生だ、悩むくらいなら進め! おまえの冒険は、子や孫に語り継がれる!」と言ってくる。
 そうは言っても途中でハプニングがなくてなんとかギリギリ行けるだけの金しかない。
 イワサワさんと一緒に行くのをやめ、エジプトかケニアに飛べばれば、ルート的に若干金が浮く(彼はいったんイスタンブールい戻るというので)。それでも少ない金で旅や、ヴィザ取りの苦労を考えるとうんざりしてくる。アフリカに入れば病気の心配も大きくなる。
 自転車でアフリカ縦断というのは大いにロマンをかき立ててくれる。やるんだったら今しかないだろう。もう旅はこれで最後だと決めていたし、いったん帰国したらもう一度今のような暮らしに戻る気力は湧かないだろう。やるなら今しかない。
 しかし、命があるうちに帰りたいとも思う。ここまでは運良く無事に旅ができた。でも、今後なにがあるかわからない。
 今までの人生の中でこんなに悩んだことはあるだろうか。夢と現実という言葉が重くのしかかる。

 

10/18〜10/20

 結局帰ることにした。ものすごい挫折感がわき上がってくる。シンガポールからはるばるポルトガルまでやってきたのに、達成感は吹き飛んでしまった。
 ヴィザ取りの手続き、毎晩の宿泊地探し、買い物、両替などの煩わしさに負けてしまった。やってみればできるかもしれない。いや、なんとかなるだろう。これまでの暮らしがまた少し続くだけだ。しかし気力が折れてしまった。
 別に挫折でもなんでもないと思われるかもしれない。でも、自分の前に広がっている夢を、自らの力で閉ざしてしまったのだ。大袈裟な言葉だけど、僕の前には無限の可能性があった。30万円ぶんの自由があった。しかし、気力を無くしてしまったせいで、それは永遠に失われてしまった。世界は、僕の夢や精神力を簡単に飲み込んでしまうほど広かったのだ。
 これまでの人生の中でいちばんの悩みと挫折を味わった夜だった。涙が溢れてくる。薄い毛布をかぶって声を立てずに泣いた。

 

10/21

 ユースのホテルでこっそりと鍋を洗っていると(自炊禁止だけど食費節約のために自炊していた)スペイン人のおっさんが話しかけてくる。
 おっさんもサイクリストで、スペイン・ポルトガルを一周しているらしい。僕の旅のことをいろいろ聞いてきて、すごいすごいと目を丸くして驚いている。彼は旅に出る前地元でたいそう騒がれ、新聞の取材をいくつも受けたりしたらしい。しかし、「おまえはオレと比べものにならないくらいすごい!!」と褒めてくる。複雑な気分だ。
 ロカ岬でイワサワさんに合わなければ、僕はいい気分でいられたのだろうか。最後の最後でサイクリストに会えて喜んだけど、本当は会わなかったほうが良かったんだろうか。シンガポールからポルトガルまで走ったという事実は同じなのに、ほんのちょっとの出来事のせいでこれほど気分が変わってしまうとは驚きだ。

 

10/22

 夕方、ヨコタさんと空港に向かう。明日の朝の飛行機なので、前日のうちに空港に行きベンチで寝る予定。

 

10/23

 荷物検査でバッグを全部あけて調べられる。X線モニタで透視もされる。モニタを覗き込むと、本当に透けているのがおもしろい。しかもカラー。
 飛行機に乗り込みしばらく飛ぶ。機内食がうまい。エールフランスだからフランス料理だ。
 パリでトランジット。成田行きの飛行機のため、日本人が多い。マヌケ面のおじさんおばさんが多く、あんたらそんな隙だらけじゃスリに狙われるよ……と言いたくなる。
 小汚いバックパッカーなど一人も見あたらない。僕とヨコタさんだけ場違いな感じだ。
 ベンチに座って出発を待っていると、フィリピン人に話しかけられた。それも当たり前のように。どうやら、フィリピン人の団体客も同じ飛行機に乗るらしく、仲間だと思われたらしい。
 飛行機に乗り込み出発。あと11時間後には日本だ。信じられない。あれほど帰りたかったのに、いざ帰るとなるととても惜しく感じる。
 僕が9ヶ月かけた距離を11時間で飛んでしまう。文明とはすごいものだ。
 旅をして生き生きしていた時の自分こそ本当の自分だと思う。しかし、これは幻想だろう。なにをしていようと僕は僕だ。むしろ、この9ヶ月こそ夢のようなものだ。この旅で得たものというのは残念ながら思いつかないが、今後一生ぶんの大冒険はしたと思う。人によっては大したことないと思うかもしれないけれど、僕には両手に余るほどの大冒険だった。
 この旅で味わったつらさや苦しさをうまく他人に伝えることはできないけど、それだからこそ思い出というのは尊いんだなぁと思う。でも、この思い出もやがては消えていくんだろう。
 窓の外に海が見える。船がいっそう浮かんでいる。動いてるのか止まってるのかわからない。しばらく前の僕もあんな感じで地面にへばりついて、かたつむりのように進んでいたのだ。
 イヤホンを耳に入れ、ウォークマンを再生する。RAGEのHIGHER THAN THE SKYが流れてくる。この曲は、飛行機事故で死んでいく人達の歌だ。はっきりいって、かなりへんてこな歌詞だ。飛行機に乗りながら聞く曲じゃない。その後はEND OF ALL DAYS。これは自動車事故で恋人を死なせてしまったという歌。なんてろくでもない歌詞なんだ。
 テープを変え、GAMMARAYにする。TRIBUTE TO THE PAST。「昇りゆく太陽の彼方を俺は運命の翼に乗り駆ける、俺の世界へ戻る準備はできた。過去へ帰るのだ」うーむ、まさにそんな感じだ。旅に出る前は、ガンマレイを聞きながらあちこちを走り回って足腰を鍛えたけど、すごく昔のことのように思えるし、つい最近のことのようにも思える。

 ワインサービスがあったので、ヨコタさんとユーラシア大陸横断を記念して乾杯。

 

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