志貴崎ロミが部室に入ると、中にはすでに数人の美術部員が集まっていました。
 しかし絵を描いている人は一人もいません。
 かといっておしゃべりをしているわけでもありません。
 クスクスと笑いながら、何かを読んでいるようです。

 ロミは呆れ顔で言いました。
「まったく、毎日毎日まんがばかり読んで。
 あんたたちもたまには絵でも描いたらどう?
 このままじゃまた部費を減らされるよ?」

「まんがはね、人類の生み出した最高の芸術なんだよ!
 これこそが美術の真髄なんだよ!」
 一人の部員が言いました。
 ロミの親友の栗山麻菜藻(マナモ)です。

「それなら自分でまんがを描けばいいじゃない」

「あらあらロミちゃん、わかってないねぇ。
 まんがはね、シロートがおいそれと手を出せるものじゃないんだよ。
 まずはたくさんの作品に触れて学ばなければならないんだよ!
 これがまんが道ってものなんだよ!」
 マナモはなぜか自慢げに言います。

「はぁ……。まんがを読むのは構わないんだけどね、形だけでも部の活動をしてるフリをしたらどうでしょうかね。
 そろそろジュリア先生も黙ってないんじゃないの?」

「大丈夫大丈夫!」
 別の方向から声が上がりました。美術部の部長です。

「ジュリア先生はね、美術部なんてまーったく興味ないの。形だけの顧問なの。
 あのヒトは防衛委員の指導教官が本業だからね、文科系のモヤシっ娘には、まぁあぁ〜ったく興味ないの。
 私が高等部に上がって以来、三年間ずっと美術部には無関心なんだから。
 運動部の顧問をやるとそっちにも時間を取られちゃうからね、他にやりたいことがある先生は、放置可能な弱小部の顧問をやるってワケよ。
 それよりさ、ロミちゃんもまんが読みなよ。
 ……いや、ロミちゃんなら描けるかも? ねぇねぇ、なにか描いてよ!」

「うわぁ〜! ロミちゃんのまんが読みた〜い!
 描いて描いてぇ〜!」
 マナモもねだりはじめます。

「まんがなんて描けないっての!
 それに、シロートにはおいそれと手を出せるものじゃないんじゃないの?」

「ロミちゃんなら描けるよ!
 そう、部費が減っている今こそ、ロミちゃんのまんがで稼ぐんだよ!」

「は? まんがって、稼げるものなの?」

「フフフ……光のあるところに白きまんがあり、影のあるところに闇まんがあり……。
 闇まんがの世界は、深く、濃い……。
 闇まんがの深遠では、今日も大金が動いているという……」

「なんなのよそれ。わけのわからないことばかり言って……。
 はいはい、もういいからまんがでもなんでも読んでなさい、僕は美術コンテスト用の絵を描くから。
 まったくもう、なんで美術に興味のない僕だけが真面目に絵を描いてんだろ……」
 ロミは溜息をついて画材の準備にとりかかりました。



「みんな! 警報だよ! ジュリア警報だよ!」
 突然一人の生徒が叫びました。
 ダメ人間の集まりの美術部にあって、彼女はダメ人間なりの能力を開花させました。それが危険察知能力です。
 彼女達の楽園である美術部室に部外者が近づくと、たちどころに接近を感知するのでした。
 美術部員達はまんがを隠し、いそいそと画材の準備をはじめます。

 扉が開き、大人の女性が入ってきました。
 顧問の油ヶ淵ジュリア先生です。
 均整の取れた肉体に知的な顔、「容姿端麗」「才色兼備」とは彼女のためにあるような言葉です。
 しかしその眼は猛禽のように鋭く、近づきがたい印象を与えるのでした。
 しかも美術部員は小動物の集まり。
 このような眼で睨まれたら石のように固まってしまいます。

「みんな揃っているようだな。
 大事な報告がある。
 美術部の廃部が決定した。
 私物は早めに持ち帰るように」

「えぇぇええぇぇぇ〜〜えぇぇ〜〜っ!?」
 驚きの声が上がります。
 そしてなにか不満を漏らしたくて口をぱくぱくさせますが、みんなジュリア先生が怖くて何も言えません。
 ロミだけが、「だから言わんこっちゃない」といった表情で皆を眺めています。

「あ、あ、あ……あの、は、廃部って……な、なんんとか、ならない、んですか?」
 部長が勇気を出して尋ねます。

「美術部はここ数年ろくな実績がないからな。
 前回のコンテストでロミが佳作を取ったくらいだ。
 今、この古い美術室をトレーニングルームに改造して、筋トレ部を作るという話が持ち上がっている。
 なんなら優先的に入部させてやるぞ?」

「き、ききき、筋トレぇぇえぇぇ〜?
 せ、先生! わわ私達は! 絵が描きたいのです!
 美術こそが芸術の真髄っ! 美術室こそは我々の聖域っ!
 な、ななななんとかなりませんかっ!?」
 部長の異様な迫力に感じるものがあったのか、ジュリア先生は少し考え込みました。

「ひとつ、方法がないわけでもない……」
「方法とはっ!? 何っ! ですかっ!?」

「……武麗部魂手素闘……」
 ジュリア先生は重々しく呟きました。

「ぶれいぶこんてすと……? ま、まさか、あの……」

「そう、ブレイブコンテスト。
 強く気高く美しい乙女の育成、これを理念とする部活動対抗戦、それがブレイブコンテストだ」
 部員達はごくりと唾を飲み顔を見合わせます。

 ブレイブコンテスト……文科系のもやしっ娘にはほとんど縁のない武闘大会です。
 もちろん、文科系でも強豪部はあります。
 強力な「サーバント」を従えていれば上位入賞も夢ではありません。
 しかし弱小の中の弱小である美術部にはサーバントなどいません。

「せ、先生! 我が美術部にはサーバントすらいないんですよ!?
 ど、どどどどうやってブレイブコンテストで戦えというんですか!?」

「そんなことは知らん。
 今からサーバントを捕まえにいってもいいが、コンテストが近い今、近辺の暴獣類は全て狩り尽くされた後だろうな。
 ポポン山地まで行けば巨獣が見つかるかもしれないが、コンテストまでに帰れるかどうかが問題になるな……」

「サササーバント狩りなんてムリですぅっ!」

「安心しろ、サーバントなしで優勝した部だっていくらでもある。
 私自身、学生時代には何度か優勝したものだ」

「先生は特別ですよぅっ!
 二期連続生徒会長務めたんでしょ?
 超人過ぎですっ!」
 ジュリア先生はこの学園のOBにして伝説的生徒会長なのでした。

「なに、現生徒会長のアイリのほうがすごいだろう。
 学園千五百年の歴史でたった二十五人しかいない『パーフェクト生徒会長』の一人だ。
 つまり三期連続の生徒会長だ。
 おまえたちは生ける伝説と肩を並べて学んでいるのだぞ?
 このブレイブコンテストの勝者は、生徒会への挑戦権も得られる。
 パーフェクト生徒会長がどれほどのものかその身で確かめてみるといい。まったく羨ましいことだ」
 そう言ってジュリア先生は、ロミのほうをちらりと見ました。

 鋭い眼光を受けロミは一瞬どきりとしましたが、元々ロミは美術部の存続には興味ありません。
 友達のマナモに付きあって入部しただけです。
 絵を描くのは意外に楽しかったものの、こだわるほど熱中していたわけではありません。
 ロミは「私には関係ないね」といった態度で眼をそらすのでした。

「軟弱さに定評のある私達には、どうがんばってもムリだって……」
 部長の勢いも弱くなり、美術部員たちはしおれたもやしのように精気を失っていきました。

「とにかく、ブレイブコンテストで優勝すれば廃部は撤回されるだろう。
 しかも部費は倍になる。
 そして、その後の生徒会戦で勝てばさらに倍だ。
 これはチャンスだぞ? まったくもっておいしい。
 おまえたちがうらやましいよ。
 私なら早速トレーニングに取りかかるところだ。
 さあ、連絡事項はこれで終わりだ。健闘を祈る」
 そう言ってジュリア先生は出ていきました。



「どうすんの、どうすんのよォ」
「まーこりゃ廃部確定だね」
「楽園が奪われていく……」
 部員達はブツブツとぼやいています。

「大丈夫だよ! ジュリア先生が言ったとおり、これはチャンスだよ!」
 突然マナモが言いました。
 みんなは驚いて彼女のほうを見つめています。

「わたしたちにはね、ロミちゃんがいるんだよ!
 ロミちゃんは運動も魔法も得意で、成績上位なんだよ!」

「ほんと?」

「ロミが?」

「そうは言ってもロミひとりで何ができるのか」
「いや、この最底辺美術部にあって佳作を取る実力、やはりホンモノだったか……」
「ロミに漂う不良感、はすに構えたクール感、やればできる実力感、やはり私達とは出来が違うのか……」
「我々とは違うのだ……『向こう側』の人間なのだ……」
 部室にざわめきが広がります。

「僕はやらないからね」
 ロミは言いました。

「なんでよぉ〜。わたしたちにはロミちゃんしかいないんだよぅ!」

「めんどくさいし」

「この楽園を守れるのはロミちゃんしかいないんだよ?」

「ふんっ! 真面目に活動してればね、こんなことにはならなかったの! 自業自得なのっ!」
 正論、あまりにも正論です。
 これには部員達も言い返せません。

「マナモ、ロミの実力はホンモノなのか……?」
 部長が聞きました。

「ホンモノもホンモノ、中等部のときに丙級テロポーダをひとりでやっつけたんだよ!」

「あれは! あんたがピーピー泣きわめくから、仕方なしにがんばったんだって!
 ほんっと、わたしがいないとマナモは何もできないんだから。
 まっ、あんたも魔力補助でちょっとはがんばったけどね!」

「ふふふ、初等部のときも、二人で怪鳥ドギャーマを追い払ったんだよね」

「あんたが魔力を貸してくれれば、あんなのヒヨコ同然よ!」
 皆の目つきが代わりました。
 畏怖の視線をロミに投げかけます。

「で、でも陸上部にはアストラペー型がいるし……地底探検部は『アビス姫』を味方につけてるって噂だよ……?」
 一人が心配そうに言いました。

「とはいえ、サーバントの力が戦力に直結するわけでもない……。
 使役者を狙うという手もある……。
 ジュリア先生の戦い方はこのタイプだったと聞いているぞ?」

「どっちにしても、今はロミ殿のお力を借りるしかないのではあるまいか……」
 部員達の話し合いに熱が入り始めました。

「だっかっらっ! 僕は! やらないっ!」
 ロミはざわめきに負けぬよう大きな声で言うのでした。

「我々美術部は烏合の衆である……。
 それは自他共に認めるところであろう。
 しかし……」
 部長は腕を組み何事かを考え込みながら言いました。

「しかし我が美術部には、特殊な状況でのみ発動できる最終奥義がある……」

「ハッ!? ま、まさか、アレを?」
 二年と三年の部員がガタガタと震えはじめました。

「そう、我々にも大きな被害が及ぶだろう……。
 だが、今こそやるべきではないか?
 こんなときのための技ではないのか?」

「ふんっ! 何よ、そんなたいそうな技があるなら、最初から自分達でやればいいじゃない!
 はいはいおしまいおしまい、マナモ、帰るわよっ!」
 ロミはそう言ってマナモの手を掴みました。
 しかしマナモも顔を青くして震えています。

 どうやらマナモも『最終奥義』とやらを知ってるようです。
 そしてマナモは、震えながらも屹然として立ち上がりました。

「部長、その役目……『コア』の任、わたしにやらせてはくれまいかっ!
 いや、わたしにしかできないっ!」

「おぉ、マナモよ、やってくれるか!?
 そう、『コア』はお前こそが適任なのだ!
 だが、一年生のお前にそれを命じるのはあまりにも酷であった……。
 コア……その恐るべき自己犠牲は、三年の私でさえ躊躇してしまう。
 しかしおまえの決意、その眼に現れておるぞっ!
 止めても聞かぬ目だ!
 やるがいい、我々の未来のために、楽園の明日のために!」
 二人は芝居がかった奇妙な喋り方で会話をしています。
 ロミは気持ち悪いものでも見るかのようにこの茶番を眺めるのでした。

「ロミちゃん、覚悟はいい? これはみんなのためなんだよ?」

「えっ? 何が?」
 突然話を振られ、ロミはとまどっています。

「食らえ! 美術部最終奥義、蜂球熱圧蒸(ほうきゅうねつあつむし)ーっ!」
 そう言ってマナモはロミに抱きつきました。

「ちょっと、いきなり何……きゃあっ!」
 他の部員達も次々に抱きついてきます。まるで人団子です。
 二年三年が全員抱きつくと、全てを察した一年も人団子に飛びかるのでした。

「やめ……暑いったら!
 離しなさいって!
 ……ちょっと、暑いっての!」
 ロミとマナモを中心とした人団子は、床をごろごろと転げまわります。

「ロミちゃん!
 うんと言うまでこの奥義は解除されないんだよ!
 さぁ、ブレイブコンテストに出る? さぁさぁっ!」
 人団子の中心部はたちまち温度が上がり、あっというまに汗だくです。
 接触した部分だけでなく、周囲の空間まで灼熱の蒸気で満たされていくのでした。まさに熱圧蒸。

「やめてったら! 暑苦しいって! あんただって暑いでしょ!?」

「フフフ……わたしとロミちゃんは一蓮托生……ロミちゃんが暑いときは、わたしも暑いんだよ!」

「何わけわかんないこと言って……あふーっ、く、苦しい……」
 人団子は熱球と化し、みんな顔を真っ赤に染めて茹っています。
 ロミとマナモは皆の汗でぐちゃぐちゃのどろどろになってしまいました。

 青春の汗は蒸気となり、さながら『乙女しゅうまい』といった様相を示してきました。
 あつあつほかほかです。
 なんとおそろしいしゅうまいでしょうか。

「さぁロミちゃん、解放してほしければ、はぁはぁ……わたしたちのために戦うんだよ!
 ふうふう……楽園の戦士となるんだよ!」

「あーっもうわかったからっ! わかったから早く出して!」
 ついにロミは降参しました。
 はすに構えた不良娘も、友情の汗の前に打ち破れたのでした。

 部員はひとりまたひとりと乙女しゅうまいから離れていきます。
 外側にいた一年生たちは割と元気ですが、中心近くにいた上級生はかなり消耗しているようです。
 全身を真っ赤に火照らせ、だらだらと汗を流しています。
 敵を倒すために自らも傷つく、これぞまさに捨て身の必殺技。
 相当の結束力がなければ使いこなせない技だといえましょう。美術部も侮れません。

「はぁはぁ、ひ、ひとつだけ……条件があるわ……」
 息も絶え絶えになりながらロミは言いました。

「ふうふう、条件って……はひぃ〜」
 マナモは上着を脱ぎ、ぎゅ〜っと絞りながら言いました。

「あんたも一緒に出るの。さすがにひとりじゃムリ」
「え〜? わたしでいいのぉ?」

「魔力よ魔力! 大魔法使うためにはあんたと一緒じゃないとダメなの!」
「ふふふ、そうだね。わたしもロミちゃんのためにがんばるよ」

 こうして二人は武麗部魂手素闘の選手となったのでした。








 生徒会長室。
 ジュリア先生が室内に入ると、生徒会長『竜泉寺アイリ』は立ち上がって出迎えました。

「話は伝えたぞ」

「ありがとうございます。しかし参加してくれるでしょうか?」

「知らん。志貴崎自身ははこういうことに興味ないようだがな」

「あの娘の親のことはよくお知りでしょう?
 沢渡博士なら……いえ、志貴崎先輩ならどうすると思います?
 志貴崎さんは『姉母』である志貴崎ウメ子先輩によく似ているのでしょう?」

「……ウメ子なら、なんだかんだ言って参加するだろう」

「ならば大丈夫ですわね」

「志貴崎が参戦すれば、元老院の注目を集めることになるぞ」

「いいじゃありませんか。
 どのみち彼女は、沢渡博士と志貴崎先輩の娘です。
 何もしなくても注目されています」

「面倒ごとは『計画』の障害になるかもしれない」

「ふふふ、障害は大きければ大きいほど、おもしろくなるのですわ」


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