現役物理学者によるハードSF短編集です。
物理学者のハードSFという触れ込みではあるものの、作風はかなり文学寄りで、科学的なアイデアは設定の一部として使っているだけで、メインは登場人物の感情という感じです。
ラリィ・ニーヴンに見られるような、謎解き要素、冒険要素ではありません。
SF的な世界や科学の関わる出来事を、詩的に表現しようとしている印象を受けます。
そのためSFとしての爽快感に乏しく物語自体もかなり地味です。
科学部分を抜いても話が成り立ってしまうという感じでしょうか。
良くも悪くも、科学知識や理解を必要としない作品になっています。
正直言うと僕には合わない作品でした。
話自体はおもしろいんだけど、「現役物理学者のハードSF」という看板から期待するものとは全然違っていて、その落差にガッカリという感じです。
文学小説・一般小説寄りとはいえ、昨今流行り?の「人間を書く」といってチープなメロドラマを繰り広げる作品よりは楽しめると思います。
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「異星人の体内に」は、本作の中でもなかなかのお気に入りです。
しかし、数学で意志の疎通をする怪生物が出てくるというのに「なぜ数学か」「数学で思考してることにどうやって気付いたか」の部分がまったく説明されないのが不満でした。僕としては「ここが一番重要だろ!」と思ってしまうのでした。
このあたりがちゃんと書いてあれば、ファーストコンタクトものの名作になったような気がします。
僕の好きなタイプの作品だけに、「主人公個人の物語」で終わってしまってるのが残念。
「時の摩擦」は、SF的世界をファンタジー風に書いた作品です。こういうのも大好き。
ただ「イム」の存在がファンタジーすぎるので、ハードSFの重鎮ならばこのあたりをもっと屁理屈こねまくって書いてほしかった。
そして、途中に出てくる論理パズル的な問答が本作のキモらしいけど、「そこはあんまり……」という感じでした。
長編で読みたい作品です。
表題作「時空と大河のほとり」や「嵐のメキシコ湾へ」は、本作の目玉といえるでしょう。
短編小説として普通に楽しめます。
しかしやっぱりこの二編とも「ハードSF」という観点で見るとものすごく物足りない。
アイデアにこれといった捻りのない普通のSFになってしまってます。
「ドゥーイングレノン」は、今で言うとグレッグ・イーガンが書きそうな話ではあるものの、これも自意識の問題等にはそれほど踏み込まずあっさり終わるのが残念でした。
オチが丸わかりだろ!と思って読み進めましたが終盤は若干意外な方向に話が進み、「あれ、そうなるの?」という感じでした。
しかしこれがレノン存命時の七十年代に書かれていたというのは驚きました。
そして、この作者も当時は無名に近かっただろうに、ポールマッカットニーが読んでレノンも読んだ可能性があるというのはなんだかすごい。
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長編作では「機械生命体との果てしない戦争! 人類とは? 生命とは?」みたいな派手な話が多いようですが、本作はひたすら地味です。
解説にもあるように、SF的な基本アイデアは相当古めかしく、「等身大の登場人物がうだうだと悩むところが見所」といった作品集になってます。
アイデア命、ロジック命みたいな人には向かないかも。
作者自身にとっても登場人物の葛藤を書くのが主題となっていて、アイデアとか物語のオチにはそれほど興味ないように見えます。
正直言うと僕には退屈でした。「キャラの心情なんてどうでもいいから、ここをもっと掘り下げてくれよ!」という感じ。
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一般向け小説的な地味さと、所々に出てくるハードSF的難解さのおかげで、相当人を選ぶ作品集になってるような気がします。
ハードSF部分を読み飛ばしても成立してしまうのが、歯がゆいというか勿体無いというか物足りないというか……。
個々の話の出来は決して悪くなく、それなりに楽しめたのに、「おもしろかった! 満足!」とは言いにくい一冊でした。