もう九月も近いのにまだコミケの感想とか言ってるのかよ!と思う方もいるかもしれない。
しかし、今だからこそいいのです。
コミケ直後は、熱意冷めやらぬ人がコミケの感想を求めてさまよってる感じじゃないですか。
僕としては、あまり多くの人に注目されるのは好まないので、あえて時期を外したわけです。書くのがめんどくさくなったわけじゃないぞ!
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コミケ後は、同人STG作者の飲み会でした。いつもいつもすごい顔ぶれが揃ってたりして、僕は借りてきた猫のように大人しくしておくべきなのですが、図々しい性格なので偉そうにいろいろ語ったりしてしまうのでした。
おもしろい話がいろいろと出たものの、勝手に書くのは差し障りがありそうなものもあるので、自分の発言をメインに書いていきます。
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まず驚いたのは、じるるんさんがスリムになりカッコよくなっていたことです。集合場所では健康の話に花が咲いてしまいました。僕のおすすめは、ソフトドリンクをやめて麦茶を飲むことです。麦茶に慣れると砂糖入りのものがあまり飲めなくなりますよ、ほんと。ジュースとかを飲み終わったあとの口内のネットリ感がすごく気になります。麦茶で口直しせずにはいられない。
まぁたまにコーラとか飲むとこの世のものとは思えないほどおいしいんですけど。
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そして飲み会の場では、じるるんさんに敵配置のやり方を教えてもらいました。なんでも、中型機とザコを1セットにして、それをポコポコと配置していくのだそうです。テンポやリズムを作るのに良さそうです。
しかしこの方法の真髄はそれだけではないのでは?と僕は思いました。
中型機とザコをセットにするというのは、ある意味部位破壊キャラの構成にも似ているわけです。各キャラにさほど特徴的な攻撃をさせなくても、1シーンとしてみると連携攻撃を仕掛けてくるような一体感が出てくる。メリハリのきいた印象的な展開にもなります。
また、やられ役として登場させるのもいいでしょう。メインはあくまでも中型機で、現れては死んでいくザコは中型機を飾る花というわけです。
昨今の弾幕重視型の作品は道中がイマイチに感じたりするものもけっこうあるのですが、他のサークルとは一味違うおもしろさを出したいならこの方法を使ってみてはどうでしょうか。
個々の敵に個性的な攻撃をさせるのではなく、ひとつの場面として「ここではこの敵を中心にこういう戦い方をさせよう」考えていくわけです。
ちなみに僕の場合は、最初にポイントとなる中型機を配置しておき(見せ場や大雑把な自機誘導)、空いたところにザコを置いていくという感じです。ザコを追加したり間引いたりすることによって難度調整ができるので楽なのだった。
あと、自分が真似した作品についてはあまり触れてもらえず、やったことも見たこともない作品からの影響を指摘されて困ってしまう話とかも出ました。
これはなんとも歯がゆい問題です。下手に否定するよりも、何も言わずに真似したと思わせておいたほうが自作品に有利に働く場合もある。元作品のファンを取り込める可能性もあるのです。
また、大好きな作品は自分の血肉になりすぎて、直接真似したわけではないのに過剰に影響を指摘されるということもあります。
僕の場合はR-TYPEあたりがそうで、ものすごく好きで影響も大きいんだけど、実際に作るときはまったく参考にしてなかったりします。
初期の横画面作品なんかはR-TYPEの要素は皆無なのに、キャラがグロテスクなせいで似ている似ていると言われて結構困りました。R-TYPEを期待してプレイした人が「全然違うやん!」と思いそうで。
ただ対空レーザーだけは、「ゲーム的に見ておもしろい仕掛け(中に入って避けることを考えた場合)」なのにそれを使った作品がほとんどないので、あえてそのまんまの見た目で採用してます。この対空レーザーというやつは、進行速度がそこそこゆっくりでタイミングを見て中に入って回避することができるとか、実にすばらしい仕組みです。自分のゲームではいまいち活かせていないものの、どこかのセンスのある人がこれを使ったらすごいことになってしまいそうです。まぁグラ3のうまうまレーザーと似てるとも言えるけど。
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そして僕は、あろうことかなるさんに向かって「ボクは反エフェクト派ですから!」と高らかに宣言してしまうのでした。
これについては、言い訳というか補足をしておかねばなるまい。
エフェクトというのは薬みたいなもので、使いすぎると感覚が麻痺してしまい、よりすごいもの、より派手なものに進みがちです。その結果、弱い攻撃まで豪華なエフェクトになり「ほんとに弱攻撃なの?」となったり、せっかくのキャラのアクションが見えなくなったりという変な状況にもなってしまうのです。本来なら「すごい攻撃」を表現するためのものが「すごいエフェクト」が主役になってしまう。
格ゲーなんかではヒット確認用として役に立つんですが、そのせいでキャラのかっこいい絵が見えなくなってしまっては本末転倒ではあるまいか。ギルティギア系のゲームなんて、ほんと何が起こってるのかわからないよ……。
最強クラスの攻撃とか、中ボス・ボスに大ダメージを与えたときとか、ここぞというところで過剰すぎるエフェクトを出すのが効果的なのではないかと思うのでした。
これに関連して、2DSTGでもアイテムじゃらじゃら演出が行き過ぎてしまうと、初見の人は「これなにが起こってるの? これおもしろいの?」ということになってしまうのではないかと思います。
自分の作品だと、夜光蛾4なんて知らない人がみたらわけがわからないだろうなぁと反省しています。自機に向かって突っ込んでくる金塊は無くてもよかった……。
しかしプログラマとしてはエフェクトは腕の見せ所でもあります。美術的なセンスに加え、多関節とか複数オブジェクト制御のテクニックが必要になったりもします。
逆にエフェクトが地味だと「コイツ腕がイマイチじゃねぇの?」と思われかねません。いやほんとエフェクトというのは技術や経験があからさまに出てしまう部分でもある。特に複数の効果を重ねるタイプのエフェクトは、経験がないとうまくいかないでしょう。
僕みたいに一枚絵のアニメーションばかりだと玄人の目は誤魔化せないわけです。素人にも地味でショボイと思われるし。まぁその通りなのだが。
あとこれは個人的な感覚なんですが、加算合成系のエフェクトが多いと「重さ」が失われる気がします。加算合成や半透明系のオブジェクトには実体感がないわけですね。
STGの敵弾なんかでも、加算合成よりは通常描画の弾のほうが「当たったら痛そう」という感じが出ると思います。例えばボスが放つ大型の火球の場合、芯の部分は通常描画にして下に光エフェクトを重ねたりしたほうが「ものすごいメテオ感」が出ると思います。
前にもどこかに書きましたが、僕はエフェクトに関しては「物理現象(視覚触覚で確認できるもの)を誇張する方向性」というのが大事だと思ってます。しかし物理現象の誇張というのはいまいち面白そうに思えない。爆炎とか煙とか破片のオブジェクトを多くするだけ?みたいな。工夫の方向性がなかなか見えてこない。爆発なら、エフェクトで何とかするよりも周囲のオブジェクトが衝撃波や爆風で吹っ飛ぶ表現を入れるほうが凄さを演出できそう。
よくよく考えてみると、僕らプログラマが加算合成を使って派手かつかっこよく表現したくなるものは「現実には存在しないもの」が多いのではあるまいか。例えば斬撃とか魔法の効果みたいなやつです。
現実には存在しないからこそ、いくらでも派手にできるし工夫のし甲斐がある。しかしがんばりすぎるとエフェクトのインフレが進んで本当は何を見せたいのかわからなくなってしまう。
ただ、こういうのは人によって受けとり方もちがうため、エフェクトが地味だと「地味なダメゲー。手抜きゲー。プログラマの腕がしょぼい」と思われかねない。ライトゲーマーほどこう思ってしまいそう。それどころか、散々文句を言った僕ですらそう思うことがある……。まあ難しい話ですよほんと。
しかしこんな僕にも大好きなエフェクトがあるのでした。それは前フレームの絵を使ったエフェクト。空間に波紋が広がったり残像が歪んだりするアレです。
でもあのタイプのエフェクトは、SSでの見栄えが悪いらしい。確かに……。
結局のところ、派手なエフェクトはゲームの華でもあるので、ゲーム的に意味のある(ダメージの大小を視覚的にわからせる、攻撃の質・属性を表現するなど)という方向性がいいのかなと思いました。
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こうして一次会は終わり、二次会に移ります。
ソーシャルゲームとかの話が出ました。
僕としては、ソーシャルゲームもいいんだけどあれは従来のコンピュータゲームとは仕組みが根本的にちがうので、ゲーム会社の一線でがんばっている製作者が作るべきではないのでは、と思います。
従来のコンピュータゲームというのは、製作者が困難を設定しプレイヤーは技術や学習などの人間的な力で乗り越えるという仕組みになっています。製作者も、当然その方向での思考が体に染み付いてる。
そんな人がソーシャルゲームを作ると、リスク・リターンのバランスや技術・学習要素を考えすぎてソーシャルゲームとしては全然おもしろくないものができてしまうでしょう。従来のゲーム的におもしろいからこそソーシャルゲームとしてはつまらなくなってしまう。なんというパラドックスなんだ……。
確かこの流れで元カプコン稲船氏の作った「シャドウオブローマ」の話が出ました(僕が出したんだけど)。
これは隠れた名作なので超おすすめですよ! まだまだコンボアクションには模索するべき道があると思わせてくれる作品です。
そしてグロゲー・残虐ゲーの話が少し出ました。
僕はグロゲー大好きっ子だと思われてると思いますが、倫理的にひどいのは実は苦手だったりします。GTAみたいに主人公が一般人を殺したりするのは苦手。FPSでも、戦争ものはけっこう複雑な気持ちになったりします。
ヒットマンなんかはいろんな暗殺方法が用意されているにも関わらず、それを使うためにはターゲット以外(時に一般人)を殺して変装する必要があったりするので、すごく残念でした。
スプリンターセルのテロリストを倒すミッションで、全員気絶させたのになぜかクリアできず、ちゃんと息の根を止めないといけないと知ったときは「うわぁ……」と思いましたよ。気絶した相手の頭に鉛弾を撃ち込むなんて……。(しかもこのせいで発砲ゼロの完全隠密プレイができない)
ただ、主人公がモンスターだとか精神に異常をきたした極悪人という設定なら、一般人を惨殺するゲームでも平気だったりします。複雑な男心だ。
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そしてicewindさんとsorceryさんに、曲は自分で作れ!という話をしました。これもしばしば言ってることですが、名曲を作るのは凄く難しいですが無難な曲なら誰にでも作れます。絵・プログラム・音楽の中では、音楽がいちばん習得が楽で速いものだと言えるでしょう。作曲というのは最初のハードルがものすごく高いだけで、やってみれば意外なほど簡単です。法則でガチガチに固められているので、基本さえ覚えれば最低限違和感無く聴けるものは作れます。
才能とかセンスとか音感とか楽器の腕前だとか全くなくてもOKです。メロディさえも全て理屈でひねり出せます。それなりに聞ける曲を僕が作れてるんだから間違いない。
作曲の解説をしてる人はたいてい音楽的センスの優れてる人なので、適性のない人にはなにを言ってるのかすらわからないことが多いです。このあたりも作曲人口の増えない要因ではないでしょうか。作曲の解説は才能が無い人がやるべきです。つまり僕がやるべきなのか……。しかし才能がある人から見ると「何こいつ偉そうなこと言ってんだバカ」と思われそうでなかなかやる気になれない。
やってることはコードを適切に組み合わせてメロディを当てるだけである意味パズルみたいなものなんだから、中学校くらいで教えればいいのに。
音楽に無駄に芸術性とか感性とかを持ち込むから、敷居が上がり作曲が親しみにくいものになっているわけです。
実際のところ、曲が作れるかどうかは好きな音楽ジャンルがあるかに関わってくるような気がします。僕はメタルが好きなので、メタルの定番の展開とか楽器構成の知識があり、それを真似してるからそれっぽいものが作れるのです。
フリーの曲を使って他のサークルと被るくらいなら、ちょっと勉強して自作してしまいましょう。適性がないというのはただの思い込みで、実はものすごいメロディの才能が眠ってたりするかもしれませんよ!
あとsorceryさんに、Asteraiserは任意スクロールの全方向アクションにしたほうが良かったかもと偉そうに講釈を垂れてしまいました。
普通のSTGと違い敵キャラが独自の思考ルーチンで臨機応変に動くタイプなので、縦スクロールにする意味がないと思ったのです。
広いフィールドにして時間経過とか群れの全滅で次の敵が出るようにしても成り立ちそう。
あとせっかくの凝った多関節キャラなのに敵が小さくてもったいない。任意スクロールを入れれば敵を大きくしてもゲーム性が保てると思いました。
つづく。