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●打ち上げ篇
よそのサークルの内情とか他人の発言を間違って記載することを避けるため、例によって自分の発言中心で書いています。
こういうレポートはいろんな人の発言を取り上げてこそ面白くなるのですが、まぁそういうのは僕は苦手なので他の人に期待してください……。
「へー、打ち上げではこういう会話してるのかー。おもしろそうなので僕も何か完成させて参加するぞー!」とか思っていただければ幸いです。
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今回は別の所でもアクションゲーム系の打ち上げがありました。どうせなら一緒にやったほうがいいのにと思ったものの、じっくり話せるのは結局5~6人程度なので別々でも変わらないのかもと思いました。
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16:00まで粘ったあと、おかださん、ひづめさん、余さん、4gamer田中さんで集まり、秋葉原に向かうことになりました。
なぜ作曲は多くの人に敬遠されるのかという話が出ました。必要性を感じられないからでは、という意見にはなるほどと思いました。作曲には、作るための強い動機が必要なのです。
僕の中では、多くの人は作曲は特殊技能だと思っているから敬遠しているという認識でした。
なので折に触れ「作曲は実は簡単だよ、ゲーム制作では一番手を付けやすく、一定レベルまでなら誰でも確実に到達できるよ」と言っていたのですが、これはピントがずれているわけです。
僕も二十歳のころギターを弾きたいと思って知人から買ったのですが、結局ものになりませんでした。そのかわり作曲はけっこう夢中になりました。
僕にとって音楽とは「自分の曲を作る」だったわけです。既存の曲を演奏するではない。ギターでも作曲できるものの、別に必須ではないため、むしろPCで全部やった方が手っ取り早いため、ギターは身につかなかった。(軽い伴奏程度ならできないでもないけど)
今は逆に、「BGMは自分で演奏せねば~」と思っているので、割と練習に身が入る。
すべては必要か否かの問題だったんだ……。
僕の中ではBGMの地位は低めなんだけど、それでも「この場面はこの曲でなければならない!」というのが時々あって、それは自分にしか作れないわけです。だからこそ、ゲームのBGMは企画者(核部分に関わる人)が作るべきという考えになる。
見方を変えると、ゲームの核部分に関わらない人が作った曲というのは、結局のところ後からどんな曲に差し替えても同じなわけですよ。
プレイヤーにとってはBGMの必然性なんて判断できないから、良い曲かどうかだけが基準になる。
製作者が「これはイメージが違いすぎる……、注文ミスだった……」と思っていても、それがいい曲なら「素晴らしい、このゲームのこの場面はこのBGMしかない!」とプレイヤーは思ってしまうわけです。でも僕としては、やっぱりそれはおかしいと思うのだった。
先に曲ができていてそれにゲームを合わせるというのもある。要所要所ならひとつの手法として面白いものの、全編それだと「音楽のPV作ってんの?」みたいな感じになる。
ちなみになぜBGM軽視なのかというと、BGMはその世界では聴こえないものだから。(軽視といっても手抜きしてるわけではない)
ゲーム世界と関係ないBGMに少しでも必然性を作るために、夜光蛾の曲の一部は「その世界に存在する曲」という設定で作っています。機械種子の曲は、ゴマ中尉の好きな曲が戦闘機内もしくは司令部で流れているという設定。
だからもし「あきら小屋はBGMがしょぼい、差し替えたほうが絶対いい!」と思う人がいたとしても、差し替えたら全然違うんですよ。プレイヤーには全くわからない部分だけど、僕のゲームのBGMの多くは差し替えたら台無しなのです。言うなれば、ファミリー映画の大感動エンディングシーンでブルータルデスメタルが流れるようなもの……。
自分のゲームでRAGEとかDGMの曲が流れたら有頂天になるけど、それでも違うんですよ!
ほんとめんどくさい性格だな……。
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電車の中では、MGSVがいかにすごいかを力説しました。
ひづめさんもお気に入りらしく、やはりわかる人にはわかるんですよ。
作りかけとか言われるものの、最後にすごいボスがいないだけで、話はちゃんとまとまっている。作りかけではない。
まぁ水増しのコピペミッションだけは言い訳効かないけど……。
今後のステルスゲームは超能力やチートアイテム標準搭載で快適かつカジュアルに潜入・暗殺できるようになりそうなので、正統派のステルスゲームはこれが最後にして最高傑作になるのではと思うのでした。
みんなもMGSVやるんだぞ……。
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そして打ち上げ会場につきました。
今回のメンバーは、前述の人たちに加え
惑星まりも よもぎまる
オーバーイプシロン MASA
えーでるわいす なる、こいち
天空時計 瑞垣苗木
エンドレスシラフ LuCK、Nicolai、高崎
SITER SKAIN じるるん、ヤスウェア
アリスブレイズ やぎり、まと
となっています。
一言も話さなかった人もいるぞ……。年に二回しかないイベントなのに、
18人の打ち上げでもこうなってしまうんだな。ほんともったいない……。
打ち上げはスペイン料理です。
実はかなり楽しみにしていた。
僕は過去二回スペインを訪れたことがあります。日数にして一か月くらいは滞在したでしょうか。しかし、一度も、一食たりともスペイン料理を食べなかった。
何を食べたのかというと……
……自炊……。
毎日、湯にコンソメ溶かしてパスタ茹でて汁ごと啜った。
魚介類大好きな僕が、スペイン料理を一口も食べなかったわけですよ。なんて愚かだったんだ……。
まぁムール貝の缶詰をぶち込んだりもしたが。僕にとってのスペイン料理はムール貝の缶詰だったともいえる。当時は、なんでスペインのスーパーはムール貝の缶詰が充実してるんだろ?と不思議だった。
と、こんなわけで、打ち上げがスペイン料理と決まった時から僕はワクワクしていたのでした。
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今回は3Dについていろいろ知りたいことがあったので、えーでるわいすの面々と同じ卓につきました。
それがあんなことになろうとは……。
どんなことになったのかというと、どうでもいい話ばかりして本題には全く触れなかったのでした。
でもまぁ、有益な話もなかったわではない。
なので割と有益っぽい話を抜粋する。
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こいちさんは僕と同じく設定の整合性が気になるタイプらしく、「この島の技術レベルでは脱穀機は作れない!」などと悩んだりするそうです。
そうなんだよ、技術レベルを設定するのは大事なんだよ……。ねじとか文明の生み出した奇跡の一つだしな……。
ファンタジー世界を作るとき、僕は舞台となる地域の人口と産業が気になってしまうわけですよ。
食料供給のためにどれくらいの農地が必要か考え始めてしまうわけですよ。
魔法がある場合、その魔法を使った産業が出てくるはずだと思うわけですよ。
魔法には効果に応じたコストがかかると思うわけですよ。
人口、産業、魔法のコストは密接に関わりあって、ここをちゃんとしておかないと後々のストーリー展開で矛盾が起こりそうで怖いのです。
「まさに設定厨!」と思った人もいるかもしれない。それは違う。
設定なんてほんとは考えたくないんですよ。考えていてもまったく楽しくない。
「設定が凝ってる!」と言われたいわけでもない。むしろそう思わせない方向でいきたい。下手に凝ってるなんて評判が立つと、設定の鬼みたいな人が集まってきて穴を見つけられそうで怖いからな……。考察に値しないガバガバ設定だと思ってほしい。ほんとお願いしますよ……。
さらに言うと、欲しいのは緻密な設定ではなく、自分を納得させたいのです。穴があっても「それはそれでいいんだよ!」と言い切れればいい。「そこはブラックボックスなの!」で自分が納得できればいい。でも僕はブラックボックスのサイズを小さく見積もってしまうので、あれこれ気になるのです。
この、設定を作りたくない悩みというのは、割と同人ゲーム界特有のものかもしれないとも思ったのでした。同人ゲーム特にアクションものだとストーリーだけを担当する人はいなくて、たいてい他の仕事と兼任だと思います。そして、興味あるのもプログラムだのモデル作成だの目に見えて動く部分が大きいと思います。
そんな人に設定を作らせるのは酷なんですよ。ほんと困る。しかもアクションのルールとの整合性を取らねばならない。無理だろ。無尽蔵に出る弾とか二段ジャンプとかどうするんだよ……。しゃがみ状態からスライディング出して3メートル滑るとかどういう設定つければいいんだよ……。
しかし今のゲームは世界観やストーリーも重要になっている。よそと差別化するためには、世界観をもとにしたデザインを強調していかねばならない。
だから余計なところまで悩んでしまうのです。
ロボットゲームも作りたいんだけど、足パーツの強度とかメンテナンスとか動力とか「そこはブラックボックスでいいだろ……」というところが気になってしまう。二足歩行の有用性とかはいいんですよ。前方投影面積とかどうでもいい。二足歩行はかっこいいからな。でも足パーツの耐久性は僕の中で重要な要素なので、なるべくごまかしたくない。
また、Zガンダムみたいなあちこち尖ったロボットを見ると、これ動くと干渉しないか?とか考えてしまう。
ほんと嫌な性格ですよ……。
ここ強調したいんですが、設定がどうのリアリティがどうのと難癖つけたいんじゃなくて、自分を納得させたいのです。Zガンダムがいくら尖ってても、あれはああいうものなのでいいのです。(今検索してみたら、Zガンダムは思ったほど尖ってなかった……)
設定厨ではなく納得厨だと思っていただきたい。
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スコアについての話が出ました。
スコア。シューティングには必須ともいえる要素ですが、これはいったいなんなのだ。
「このゲームはスコアを稼ぐと面白くなる」みたいな意見を見たりもしますが、それじゃだめなんだよ。普通に遊んで面白くなきゃダメなんだよ。
だいたい、スコアを稼いでどうすんの。
こいちさんは、ゲームの目的がスコアしかないならいけると言い、それはまさにその通りだと思います。
要するに、レトロ系のループゲームです。あれはスコアを稼ぐことが目的になっている。
しかしクリアだとかストーリーだとかの別の目的がつくと、スコアはそれよりも優先度が下がってしまい意味が薄れてしまう。
僕の場合はエクステンドによって「スコアを稼げばクリアしやすくなる」という形で取り入れています。
「このゲームはスコアを稼ぐと面白くなる」という考えで作っていくとゲームにとって良くない方向に進みがちだと思うので、普通に遊んでも面白いとか、スコアを稼ぐとクリアが近付く・理想的な動きになるなど、稼ぎ行為のメリットをじっくり考えるともう一段深いゲームになりそうですよ……。
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この世の楽園だったみたいに思われてるバブル期も、実は地獄の底みたいだったという話もしました。
バブル期の話というのはあの時代にいい思いをした人しか語らないので、裏側が知られていないのですよ。当時の風潮もあって「貧乏は恥」という概念が人々の骨の髄まで染みついているため、今になってもほとんど語られないのです。
貧乏人もわりと多かったと思う。クラスの1/4くらいはうちと同レベルの貧乏だったのではあるまいか。
どう地獄だったかというと、学生の時給が500~600円に対し娯楽は今の倍以上。ものによっては五倍と見てもらってもいい。服、靴、雑貨なども高い。というより安いものがなかったと言いましょうか。特に田舎だと安いものは買えなかった。
しかも娯楽の選択肢が少ない。その上で、流行っているものを好まねばならない、皆と同じ娯楽を楽しまねばならないという圧力がすさまじかった。つまりテレビの流行に乗る必要があった。(無料の娯楽であるテレビに一億人が群がっていたという面もある) キモオタがリア充集団の中で10年過ごす状況を考えてほしい。
周りの流行に興味ない人にはほんと恐ろしい時代でしたよ……。僕の地域ではドロップハンドルの自転車乗ってるだけで変な目で見られたからな……。
ダサい貧乏キモオタ筆頭だった僕は、若者の○○離れの大半を25年前に先取りしていた……。
ちなみに僕自身はバブルの恩恵は受けておらず、就職氷河期二年目の世代でした。短期大学に行ったんですが、高卒で就職したほうがいい会社に入れたのだった……。
ようするに、今の時代に富裕層の住む地域を指して「ここの平均年収は一千万円だから、人々は貧乏なわけではない」と言われると「何寝言こいてんだ現実見ろ」となるようなもんです。
当時は中流以上に金が溢れていたため国レベルではすごかったものの、下層はほんと惨めでした。中流が下層にやってきた今、ようやく惨めが理解されるようになったんだな……。金がないことによる若者の○○離れは、実は25年前から当たり前のようにあったんですよ。
そして、自分たちこそ時代の代弁者だと思って世の中を批判してる人ほど、バブル脳の人に近い性質を持っていますよ……。他人を責める論調や激しさに共通性があって、僕のような日陰者一筋の人間はブルブル震えてしまう。
ちなみに僕が覚えているあの頃の良かった点としては、野菜や海産物が安くて質が良かったことです。海辺に住んでいたこともあり、パックから溢れるほどのトリガイが500円で買えていた……。信じられん。
あと小説は今の60%くらいの価格だった。
アーケードゲーム文化はバブルの賜物という面があり、これは楽しかった。
沙羅曼蛇やるために15km自転車こいだものですよ……。あの迫力、滑らかな動きは本当にすごかった。
でも一分で終わるゲームに(下手なのですぐ死ぬ)100円突っ込むのは、けっこうつらくもあった。
月のこづかいが年齢×100円だった僕は、中学から新聞配達してゲームとまんがにつぎ込んでました。
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パエリアをもっと食べたかったものの話に夢中であまり手が伸びず、あと薄味好きの僕にはちょっと辛かったためあまり食べられませんでした。
おなかが減っている今、ウーロン茶ぐびぐび飲みながら食べればよかったと後悔している……。
そして二次会篇に続くのだった……。